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「絵画における下地の話」と「感動できない体質になってはいけない」という話

公開日: : 最終更新日:2018/05/25 あけのみつたかの表現哲学・キュレーション, 近況報告、その他

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このブログは「私自身を知ってもらう」という目的と「自分の思考を整理する」という二つの目的で運用しています。

他に目的があるとすれば「広告収入で制作費用の足しにする」といったところでしょうか。クリックで収入が発生する仕組みですが、こちらはあまり期待していません。

絵を描くときは下地が大事だよって話

最近はこのブログで私自身の技法に関してあまり喋らなくなっています。以前小尾修さんという日本のリアリズムの先駆者とも呼べる方が言っていましたが「技法は持ってる素材なりで自由に変えたほうがいい」というようなことを言っていました。

その方は古典絵画の研究でも頭一つ抜き出たような方で、実は私は「油彩画は独学」と称しつつ、小尾修先生の技法をかなり真似ている面があります。ありがたや、なむなむ。

そういった方が「技法は自由」といっていることに衝撃を受けたといいますか、感動に近いものを覚えたことがあります。長年研究を続けると具体的な技法などは自由自在になってくるのだなと思ったわけです。

私自身は油彩画の技法として大きく勉強させてもらったのは主に「下地処理」の部分です。

私は油彩画については下地処理の部分が制作の5割は占めているように感じています。それぐらい大事な部分だと思っています。

油彩画は重ね塗りを自由にできる便利な画材です。それゆえ「下地など気にしない」という方も多いのが油彩画家の大半ではないかと思います。

ただ、油彩画を拙筆ながら6年続けてきて思うことは「下地処理をあいまいにした作品は仕上げの段階で適当に仕上げてしまう傾向があるなぁ」ということです。

建物の例えが適当かは分かりませんが、上に重ね塗りでき、ぶ厚い画面にすることもできるからこそ、建物でいう「基礎」の部分である下地処理はおろそかにはできない面があるのではないかと思っています。

ちなみに私は最近「油彩地」と巷で言われる方法は時間がかかりすぎるため新しい下地処理を模索しています。

今は白亜地に割合近い質感になる「アブソルバン」という下地処理剤がホルバインから販売されているので、それを使っています。

これを使うことで油彩と水彩などの技法を同時に使うことができ、乾燥も早くなるという利点があるようです。

後はキャンバスが妙に高いので(油彩専用の高級キャンバスがF10サイズで1700円ぐらい)、木の板やパネルにもアブソルバンは有効なようです。

木の板や紙の上に描く場合は水分や油分を際限なく吸い取ってしまいます。

また外側だけでなく木の板から染み出るヤニによって乾燥後下地が黄ばんでしまうという現象が起こるらしい(パネルは灰汁止めが施されている)ので、油彩画などは「絶縁層」という皮膜を作る必要があります。

それには膠を使っています。

膠を何層もぬった上にアブソルバンを重ね塗りし、サンドペーパー等で平らにして下地が完成します。

すさまじく手間がかかりますが、手間をかけて作った画面はじっくり時間をかけて制作することができるようになり、作品の完成度も自動的に上がる部分があるので重宝しています。

うんちくをこれ以上言うときりがないのですが、今はそんな感じです。

やはりいつでも、どこでも絵を描けるようにするというのは画家にとって大事なことです。

「この技法じゃなきゃ描けない」というのは画家としてはやっていけないんじゃないかと思います。

「感動できる体質」と「感傷的な体質」

またこれは制作というよりは、理念的部分の話になりますが、人生経験を積むにつれ「感動できる」という能力が非常に重要だということを身に染みて感じています。

これを別の言葉でいえば「ずっと青春でいられる」ということになるでしょうか。

特に画家やその他アーティスト的活動をやっている方には重要な側面ではないかと思います。

人生は順境ばかりではありませんから、必ず浮沈があります。

感受性の鋭い人はこういった人生の浮沈でひどく傷つくこともあるかと思います。

「若いうちの感傷というのは割合は早く回復する」といわれていますが、感受性の豊かな人の場合、若いうちに経験したことというのはむしろその逆のような気がします。

長く人生に影響を与えている文化や考え方というのはほとんどが若いうちに経験したことからから派生します。

それは無意識のものなので、気が付いていない人も多いのではないでしょうか。

そういったマイナスの意味での「感動」といいますか、人生の浮沈で「感じやすい体質」というのはデメリットとして働きやすいように感じます。

私自身も比較的感傷的な体質だったもので、他から見れば取るに足らない出来事で酷く傷ついてきた経験は数えきれないぐらいあります。

「感動できない体質」になった話

6年間画家という「職業」をやっていると、無視されたり、勘違いから批判を受ける経験も数多ございます。

理解してもらえない苦痛と孤独も例えようのないものに感じます。

私の場合は絵の仕事以外にもいろいろな職業をやってきました。

画家になる以前に「叩き込まれた」ものが数多くあり、その中には、普通の人なら鬱になって全て投げ出したくなるような挫折も数多くあります。

そうした苦しみを舐めている内に、だんだん自分の「心の脂肪」といいますか、いちいち些末事に感傷的にならない体質というものが出来上がってきました。

そして物事を客観的に、冷静に見る目が養われてきて、他人事のように「自分の人生に自分で指南できる体質」が出来上がってきました。

実はこの6年間、画家以外の収入やら何やらを求めている内に、本当に幸福なのは金銭の多寡ではなく、また時間的な余裕のことでもなく、「充実した時間を多く作れたか」がとても重要なことのように思えるのです。

それは自分のしたことでも、他人がしてほしいことでも、区別はありません。

それをやっている自分自身が充実していなければ、本当に成功しているとは言えないのではないでしょうか。

そもそも「感動できる体質」とは?

話がそれてしまいましたが、つまり「感傷的なことと、感動できる体質は別のものではないか」ということを、ここ最近感じているところです。

もし感情がぶれやすいことが(つまり若いうちは感情がぶれやすい訳ですが)、些細なことにも感動できるようになる秘訣ではないと思うわけです。

これは若さを保つという面でも、人生を充実させるためにも非常に大事なポイントではないかと思います。

私のような偏屈な人生でなくても、普段の生活の中でもエモーショナルな気分になることはあると思います。

それはもちろん体調がすぐれないということも原因でしょうし、仕事が思うようにいかないこともあるかもしれません。

あるいは人間関係で行き詰っているのかもしれません。

ただ、それとは別のベクトルで「感動できる」という感覚も持ち合わせておくことが重要なことに感じます。

「感動」とは感情を動かすと書きます。別の言葉でいえば「心を柔軟にすること」が、感動できる体質なのかもしれませんね。

そのための方法は多分、きっとこういうことを習慣づけすればいいのかなぁっと思っています。

ネガティブな干渉を意図して遠ざける

  1. スマホから離れる
  2. 読書する
  3. ゆるーいジャスやクラシックを聴く(ネガティブな曲を聞かない)
  4. 運動する
  5. 手間のかかる趣味を持つ(クラシック映画、レコード収集、絵、他…)

もちろんすべてやらねばならない、という訳ではないと思いますが、総じて言えることは「ネガティブなものを心に入れない」ということです。

なぜなら、人はネガティブな事柄から自分を守るための防衛本能を持っているからです。

そのため、無意識的に外界のいろいろなネガティブな事柄を避けるようになっています。

しかし、避けることができればいいのですが、人は同時に「好奇心」も持ちやすいものです。

他人の話は聞いてて飽きません。このクソ長い、いえ失礼、こういった長文を読んで下さっている方にも当てはまることでしょう。

そこで色々な話を聞いて「あぁ、やっぱりそうか…」とか言い出したら危ないのです。

その「やっぱりそうか…」は癖になります。好奇心と自己防衛の感情がミックスされ、「転ばぬ先の杖」として機能しだすわけです。

そして次第次第に、あらぬことを妄想して傷ついたり、悲しんだり、ひどい場合は他人を逆に傷付けてしまうことさえありえます。

あるいは「感動できない体質」へと変化していきます。

要は「取り越し苦労」し始めるのです。そうする必要もないのに。

人生は豊かなものです。それは自己防衛の殻を脱ぎ捨てている内には分かっているはずです。

しかし、必要もないのに毎日SNSを開いたり、Youtubeを見たり、新聞や週刊誌を見たりして、いらない情報を「転ばぬ先の杖」として大事にしてしまうのです。

もちろん、危機が近づいていることに気づかないのは危ないです。しかし、毎日そういうことを考える必要はありませんよね。

まぁこの話は自分の備忘録的な意味もあるので、説教臭くしたくないのですが、そういうことですね。

要は「いらない情報は排除して、人生を豊かにするものを取り入れましょうね」ということです。

以上私の「絵画技法の話」と「感動できる体質になるためには」という話でした。なんらか参考になれば幸いです。

面白い本があったのでついでにご紹介…

以上の話と関係があるかどうか知りませんが、最近読んだ本でお勧めの本があったのでご紹介します。

スペインの作家のイバン・レピラという方の物語「深い穴に落ちてしまった」です。

ある日、兄弟が森で穴に落ちてしまった。

深さ7メートルの穴からどうしても出られず、木の根や虫を食べて何か月も極限の環境を生き延びようとする。

外界から遮断された小さな世界で、弟は現実と怪奇と幻想が渾然一体となった、めくるめく幻覚を見はじめる。

名も年もわからない兄弟、なぜか素数のみの章番号、幻覚に織り交ぜられた暗号。寓意と象徴に彩られた不思議な物語は、読後、驚愕と力強い感動をもたらす。暗黒時代を生きる大人のための寓話。

引用元(Amazon.co.jp):

ということで、読んでみたのですが、発狂しそうなぐらい暗い話です。

暗い話なのですが、なぜか読み終わった後に爽やかな感じが残るような、そんなお話です。

それと読み終わった後に謎解きの問題が出ており、謎の多い物語の真相を推理できるというゲーム性もあり楽しいです。

たしか映画化もされてるとかされてないとか。

詳細は是非お手に取ってご一読ください。

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