ろくでなしこから学ぶアートの将来性とは
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最終更新日:2014/12/28
あけのみつたかの表現哲学・キュレーション
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半年ほど前から、自身の生殖器を3Dスキャンし、ネットでデータを配布していた漫画家、ろくでなしこが公然わいせつの罪により逮捕された事件が物議をかもしています。
実際にデータを見たわけではありませんし、彼女の漫画も全く読んだことがありませんが、ろくでなしこがアーティストとして話題となり始めた頃のことは覚えています。
彼女がファッショングラスをつけて登場し、インタビューに受け答えしていた様子を見た時、「あぁ、やっぱり恥ずかしいんだな」と感じたのを思い出します。
また以前私はSNS上でろくでなしこに「つっかかった」事がございまして、その時はなぜ自分が気に食わないと思ったのか、何にいらだちを覚えたのかをはっきりと理解することが出来ませんでした。
改めて考えると、私がろくでなしこに怒りを覚えたのは「芸術というものを侮辱してる」と感じたからではないかと思います。
ろくでなしこは触れてはいけない琴線に触れた
実際、ろくでなしこがなぜ逮捕されたのかはわかりません。半分芸能に足を突っ込んだ「お笑い」だったので、オチのないボケにいや気のさした方がいたのかもしれません。
もしも、ろくでなしこ本人の個人的な事情でなく、譜面通りの理由で逮捕されたのであるならば、やはり彼女自身が芸術というものを全く理解していなかったということが大きな問題だったのだと思います。
芸術は「美しさ」を探求すべき
芸術はその分野の性質上、どうしてもニッチな方向に傾き過ぎたり、単なる「話題とり」になりやすい部分があります。
しかし私が以前自身の制作ポリシーを発表した際にも語ったことですが「芸術とは美しさを打ち出すものである」という観点を忘れてはいけないと思うのです。
アートや芸術と呼ばれる分野が文化的に高いレベルにある根本的な理由は、「永遠」というものに限りなく近い分野のひとつであるからだと思うのです。
「永遠」とは、言葉としては簡単ではありますが、実際に表現し尽くした、という芸術家はおそらく人類史上存在しないでしょう。それほどまでに困難なことであると思います。
永遠を表現する事はアートの最大の目標
しかし、もし究極の芸術家が宇宙のどこかに存在し、究極に美しく、究極に調和した芸術作品を作ったとしたら、この私達を取り巻く宇宙そのものを表現することになるでしょう。
世界のいたるところで様々なドラマが繰り広げられます。時には人が殺されたり、絶望の底に沈む人たちがいます。
またあるところには人生で最大の喜びをかみしめている人がいます。最大の幸福の中にいる人達がいます。
またこの地球をはるかに超えた世界でも、様々なドラマが起こり、あるいは消え、あるいは浮かび、星々の彼方でも様々なドラマが起こっていることでしょう。
そうしたもののすべてを包み込み、育み、恵みに満ちたこの宇宙そのものが「究極の芸術」であると私は感じます。
そうしたものを表現すべく、私達芸術家は努力していかないといけないはずです。
それに引き換えろくでなしこのように、個人的な「私怨」だけを持って、それを押し通すことがアートだと勘違いしている人が後を絶たないのです。
なぜそのようになるのか。まったくもって情けないことだと思います。
自己中心的な考えを捨ててこそ本物のアーティストになる
今はまだまだ力足らずかもしれません。出すぎた意見に聞こえる人もいるかもしれません。嫉妬からただただ批判していると感じる人もいるかもしれません。
しかし、私達芸術家は、たとえ今は不可能であったとしても「永遠」を表現していこうと努力すべきなのです。
それが使命であると思うのです。
この文章を読まれ、理解された方はどうか、明るくあってください。ただただ、明るくあってください。
そして、強くあってください。人生の逆風を蹴散らすだけの強さを養ってください。
難しいことはいいません。ただ明るくありなさい、強くありなさい。そうして、その明るい心でアートをしなさい。
世の人たちを明るく照らすような芸術を行いなさい。
それが出来たなら、あなたはもはや芸術におけるプロフェッショナルなのです。私はそう思います。
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