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昨今のアーティストへの問いかけ③「表現に限界を作るな」

公開日: : 最終更新日:2018/02/12 あけのみつたかの表現哲学・キュレーション

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一年ぶりにこのタイトルに立ち戻りました。

以前2回に分けてこの「昨今のアーティストへの問いかけ」という話をしたのですが、タイトルのインパクトもあってか(笑)なかなか厳しいテーマではあります。

ただ、今現在の私の技量や作家としての活動と照らしても、この話は極めて難しいテーマであると思います。

それは、多くの日本人が美とか、芸術とかいうものを理解できない部分が大きいからです。

単なるエンターテイメントといいますか、それもいいのですが、やはりその中心に「心」が入っていない表現は見ていて虚しいものを感じます。

特に私は最近の写実至高主義といいますか、今ブームとして盛り上げられている「リアリズム」というものに一定の懐疑心を持っています。

それは、私自身が6年近く描き続けてきた経験からくるものであるのですが、やはりどうしても私自身、色彩が自由に動いているように見えて仕方がないのです。

写真のように描かれた作品たちは、どうしても表現に狭さを感じざるを得ないのです。

それは、かつての西洋から流れてきた洋画の文化の中にも流れていたはずなのですが、時を経るにつれやがて日本人独自の「生真面目さ」といいますか、「器用すぎる」な面が目立ってきているのではないでしょうか。

ドイツの写実主義と日本の写実主義の共通点

器用な表現といえばよく思い浮かぶのはドイツの写実主義です。

ドイツを中心とした絵画の表現は、フランスやイタリアなどの隣接する他国のものとは違って「画面の隅から隅まで描き尽くす」というような「器用貧乏」という風によく言われています。

日本もこれに続くものではありますが、やや独自性を持っており、表現の中心といいますか、作品の中にある表現したいメッセージや、モチーフなどを取り出して考えているようです。

これは琳派やその他の日本の表現様式ともつながっているように感じます。シンプルに描くことが得意なようです。

ただ私自身はそういった考えだけでは狭い表現になるのではないかと思います。

やはり絵画は動かない世界であって、その中から見る人に創造性を促すものでなければ本物ではないと思います。

つまり、隅から隅まで完璧に描き切るということが、見る人には「すごい、上手だな」という感想以上のものを与えない部分が多いのです。

それは果たして絵画でやるべきことなのでしょうか?私はそう思うのです。

もちろんこれは個人の意見ですので、絵画で技術力を競うことを否定し切っているわけではないのです。技術力がなければそれ以上の表現の進化は得られない部分はあります。

しかし、今世の中で人気のある写実主義と呼ばれる作家達の言葉を聞いていて、それ以上の表現に至る創意工夫が感じられないのです。

「自分はリアルに描く。その技術力で世界に挑む」というところで思考停止しているような気がして仕方がありません。

「創造性をいかに引き出すか」が絵画の存在意義

そうではなく、小説や音楽などと同じように、絵画はある意味「欠損している表現」であるのです。

欠損しているのは単に映像や写真などの技術に劣っているからではなく、そこに想像力を持たせる余地を与えているのです。この考えを私は持っています。

私自身は極端な抽象主義でもなければ、極端な写実主義でもありません。両極端に挑戦したことはあるのですが、途中で「飽きてしまう」のです。

飽きっぽいことは日本人にとっては悪いことのように言われがちです。ですが言葉を変えれば「飽きっぽい」ことは「一人で完結していない」ことを意味しているのです。

つまり、表現とは「想像力を働かせる人間の根源的な欲求を喚起させるもの」でなければ、真に価値のある表現とは呼べないのです。

だからこそ、これだけ多くの表現分野が存在し得るのです。

もし五感に訴えることだけが表現の意味だと思っているならば、それはテクノロジーの世界の話であって、芸術ではないのです。

芸術は「美」を見つける営為

芸術は工芸ではないのです。職人であるだけではだめなのです。

あるいは芸術はテクノロジーではないのです。

心の中にある「人間らしさ」を呼び戻す動作のことでもあるのです。

ではその「人間らしさ」とは何を指しているのでしょうか。

それは「美」です。美しさです。

「美」という言葉には多義性があります。ある人にとっては「醜い」と思うものでも、ある人には「美しい」と思うものがあります。

それはなぜかというと、美しさとは「この世界の全てのものを愛する目線」があれば、いかなるものであってもそれは「美しい」ものに感じ取れるからです。

この世界に展開しているあらゆる事象の中にある「美」を発見することは、人間の証明であり、人間性の証明であるのです。

だから、これだけ多くの表現が許されているのです。

これだけ多くの表現がありながら、それら全てを越えた「美」の概念がこの地球に、あるいは宇宙に現出しているのです。

それは視野を広げ、この地球圏を越えて世界を見ることができれば、感じ取ることができるはずです。

しかし多くの人間は、自分の周りにあるものや、自分の体を中心に想いが向いているため、なかなかそこまで至ることができません。

私自身もただの人間なので、自分の周りにあるものしか、基本的には見えません。

しかし、焦らず、急がず、自分の周りにあるもの、自分が見ることのできる世界から愛することを意識的に考えています。そしてそれらを表現していきながら、現状に満足せず、新しい美を発見できるように少しづつ畑を耕している状態です。

なぜなら、美とは「愛が目に見える形で表れているもの」であるからです。

愛という言葉には抽象性があります。取り出して見せることはできません。

しかし、美という概念は、取り出して見せることができます。それが芸術家の仕事なのです。

この世界のあらゆる美を垣間見る、そしてそれを誰かに伝える。これが芸術家の存在意義なのです。

意識的であるか、無意識的であるかは重要ではありません。自分が何を美しいと感じるかを見れば、あなたがどんな人間かは見えてきます。

この世界は鏡なのです。他人を見ているつもりが、実は自分自身の心を穿ち入って見ているにしか過ぎないのです。これを知っていただきたいと思います。

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