作家活動についての近況
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近況報告、その他
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皆さんこんにちは、あけのみつたかです。
ここ数年、作品制作の頻度が落ちてきております。その理由について今まで詳しくお話したことがなかったので、今回はそのことについてお話します。
まず話は遡って2017年のことです。私は東京で初めての個展を開きました。
様々なご縁に支えられながらの開催でしたが、その中で私は一つの疑問が頭をよぎりました。
「果たして自分の作品は誰かの役になっているだろうか?」
そう思い、帰りの新幹線の中で一つ一つ、自分自身に与えられてきたものの多くに対して、何一つお返しのできていない自分というものを発見しました。
如何せん芸術家という職業は自分自身の殻にこもった状態で制作をすることが多いためか、多く誤解を生みやすいと感じます。
私は決して世の作家やそれに付随する職業に従事する人に当てはめた話をするつもりはありません。これはあくまで私個人としての感動として話を聞いて頂きたいのです。
しかし、私にとって、いや私自身、絵画を中心として制作活動を続けていくときに「果たして誰の為に描いていたのだろう?」という疑問が頭をよぎったのです。
それは素朴な疑問でしたが、確かにその疑問は頭をもたげ、私自身の筆を重くしていく要因でもありました。
先ほど私は「あくまでこれは自分自身の感想だ」といったのはこれから先に続く話になるのですが、私にはもう一つの直感が働いていました。
それは直感としか言いようのないもので、なぜかは分からないのですが、何かが私に「急げ」と急かすのです。
何を急かされているのかわからないまま、何か、人の役に立たねばという気持ちばかりが空転し、ある日それは一つの結論に行きつきました。
兄の死です。私にとってそれは全く突然で、実際、兄と会話するのはほとんど稀だったのです。しかし、いままで十年近く、もっと見れば20そこそこまで一つ屋根の下で見た兄の姿はいつも憐れなものでした。
私はしかし、そんな兄でも「兄としてしっかりせねば」と思っていたことを知るようになり、感謝していましたし、ほかの一切の点では自分とは違うものの、その点に関しては尊敬すべき点だと思っています。
そうして、兄が亡くなり。私自身は胸騒ぎの正体をはっきり悟ることとなったのです。
しかし、なぜか今も胸騒ぎが止まないのです。それは今、新型コロナウイルスという未体験の脅威が迫り、地震、大雨、洪水、津波等々、天変地異盛んなこの中で「芸術に一体何ができるだろうか?」という疑問がついて離れないのです。
いや、「私に何ができるだろう?」という疑問です。それが頭を離れないのです。
私には兄弟もいます。まだ学生です。その子たちがせめて大人になるまでは経済的な援助もせねばなりませんし、しっかり将来世間のお役に立つ人間になってもらいたいと思っています。
私自身も、この筆で何ができようか、あの東京からの帰りの新幹線での疑問は、3年経った、今でも、まだ答えが出ていません。いや一層、その色合いを強めて、私に迫ってくるのです。
さらに言うと、私自身の創作の源は自然の力です。大地の力と言っても良いでしょう。木々や小鳥たちから閃きを得て描いていました。
しかし、これはここ最近気づいたのですが、その創作力の元となっていた近所の森が切り開かれ、ただの住宅街になってしまったこともその一因ではあります。コンクリートの地面や壁や、醜い心の人間からは何も閃かないのです。
いずれにせよ私は今、人生の小休止です。本当に自分自身、満足できる、人々のお役に立てる生き方を発見するまでは、ただ沈黙することしかできないのです。
そして世の中の人々が真に正しさを知り、善なることと悪なることを峻別する知恵を得、繁栄することを祈っております。
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