挫折を打ち破る情熱
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最終更新日:2018/01/21
あけのみつたかの表現哲学・キュレーション, 近況報告、その他
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皆さんこんにちは、画家のあけのみつたかです。
このタイトルは私自身の勇気を鼓舞する意味でつけたものです。
というのも、明後日から大阪で開催されるグループ展「ASOBIISM」に私も出展予定なのですが、なんというか、そのタイミングに合わせたかのように揺さぶりをかけられたのです。
それ自体は傍から見れば大したことのないこと、よくあることだったのですが、その経験を通してある事に気が付きました。
それは「芸術とは情熱である」ということです。
アートは「永遠」を表現してこそ名作となる
私個人の事情や挫折、感情というものを抜きにしても、やはり私には今の芸術には「正しさ」というものを打ち立てる必要があるように思います。
ある美術評論家がこういったこと言っていました。
「近年、ピカソ以降偉大な芸術家が出ていない」
私自身、芸術というものを考えた時に、個性というものを重視しすぎるあまり「これが芸術である」というものを見失ってしまったように感じます。
あれもこれも、奇抜であれば芸術だ、アートだという今の風潮は、ある意味では自由の顕現であると思いますし、それ自体が間違っているとは私も思いません。
しかし、奇抜さや新しさを求める過程で「正しさ」を見失っていないか、ということを今のアーティストたちに申し上げたいのです。
私自身の意見としてはやはり芸術というのは「目に見えないもの」を表現することだと思っています。
目に見えないもの、と言うのは言い換えるなら「永遠」を表現する、という言い方もできます。
凡百の芸術作品の中から名作を選び出す基準はやはりこれだと思うのです。
それを表現する過程で、奇抜な表現になるならそれでもいいと思いますし、手堅く、写実的な表現をするのもいいでしょう。
ただ現在のアーティストと呼ばれる人たちの中で果たして何人が、私の言わんとすることが理解できるのでしょうか?それを問いたいのです。
今のままの芸術では、産業的なもの、経済的なものに飲み込まれて、芸術という文化そのものが萎縮、縮小されてしまうということは目に見えているのです。
今のままでいいのでしょうか?芸術はなくてもいいものなのでしょうか?
かつての偉大な芸術家達の残した作品は単なる「娯楽」だったのでしょうか?
このような考え方に、いつまで振り回されているのか。
芸術家たちよ、正しき芸術とは何かに気づけ。
この世界の本質を見抜け。
永遠とは何かを感じ取れ。
そういったことを申し上げておきたいのです。
グループ展「ASOBIISM」9/11から大阪で開催
大阪西九条駅から徒歩5分のギャラリー「Gallery Sage」で11日から16日まで、「遊び」をテーマにしたグループ展「ASOBIISM」が開催されます。
私もその展示会に出展を予定しており、作品自体は以下のページから閲覧することが出来ます。
星遊
公式ショップをオープン
さらに、今月5日頃から公式ショプ「Mitsutaka Official Gallery」が開店しています。
このショップには「Butterfies シリーズ」や「永遠へと続く道 シリーズ」を継続して展示予定で、1万円以内で購入できる安価な作品もありますのでぜひ一度お立ち寄りください。
Mitsutaka Official Gallery
私は個人的には欠陥だらけの人間です。
問題も多いでしょう。
ただ、先ほど申し上げた理論は私個人が勝手に言っている意見ではありません。これは地球全体をくるんでしまうような大きな芸術観だと感じています。
たくさんの個性を包み込み、様々な表現を包み込みながら、同時に発展へと導いていくような考え方なのです。
個人的な劣等感や「呪い」などを作品に込めていて、それを個性だと吹聴する芸術家が後を絶たないのです。
そういったものを単に「個性」として野放しにはできません。
私はそう思います。
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