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作家活動6年目を迎えて想うこと

公開日: : 最終更新日:2018/04/09 あけのみつたかの表現哲学・キュレーション, 近況報告、その他

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私が絵画を中心として、本格的な活動を展開させようと志したのはちょうど今から6年の前になります。

その頃は、まだ制作活動とはなにかも知らず、作家とはどういった仕事なのかも知らず、世間のことも、おぼろげなベールの向こうからしか見えておりませんでした。

そして自分が将来の仕事は何にするかで悩んでいる時、それは起きました。

それはまさに神秘的な現象としか言いようのないもので、今そのことを話していても「なぜこのようなことが自分の上に降りかかったのだろう」という気持ちと、「その時自分を見ていたであろう存在は、今の私を見てどう思われるのだろう」という感想がもたげてきます。

本格的な作家活動を意識させた「ある現象」

その現象とは、主に二つの側面から現れました。

その時私は、趣味でぼちぼちと(何か月もかけていたと思います)進めていた油画の制作に取り掛かっていました。

その絵は今でも自宅に飾られています。

ふと思い立って制作をしようと筆を持ち、描きかけのキャンバスに筆を走らせていた時、頭上から光が差してくるのが見えました。

それは淡いコンポーズグリーンで、そのあまりにも強すぎる光によって私は周囲のあらゆる環境から遮断され、目の前のキャンバスしか見えないような状態になったのです。

それはホラでもなければ、「感覚的にそう感じた」というわけではなく、本当にそういう光が降り注いでいたのです。

まず私は、その光の中で「これは普通のことではない」と感じました。

次にその光の中で、声というか、感覚的なものですが、「絵を描け」という強い強い意志を感じました。

さらに、私の描いていた、やっと下層描きが済んだというような全面茶褐色の画面に「完成している作品のビジョン」が二重写しになっているのが見えました。

私はその現象の中で絵筆を持ちつつ、二つのことを考えました。

まず一つは「『それ』は意思を持っているらしい」ということです。

「それ」が一体何なのかは私も力不足でしたので理解はできませんでしたが、私は「恐怖」や「驚き」の感覚よりも「爽やかな気持」であったのを覚えています。

そしてもう一つは「私はどうやら絵を描く道に進むらしい」ということでした。

私はその光を受けるとき一つ悟ったことがあります。

それは「目に見えぬ存在や目に見えぬ世界は厳にあって、それは私一人にだけある特別な存在や世界ではなく、全ての人に等しく目線を投げかけ、見守っている現実がある」という感覚です。

それはある種、宗教的な目覚めでもあったと思います。

ですが私はその光が「絵を描け、絵を描き続けなさい」と強く強く言っているように感じられたのです。

それが作家として最初の原動力となりました。

それから数週間は絵のイメージが最初から完成した状態で「ポンッ」と降りてくるようなことが幾度とあり、私は「やはり画家になるべきなのかな」と思いを致しておりました。

淡々と100作以上も制作を続けてこれた理由

私は学歴は高卒までなのですが、恵まれたことにその高校は美術と音楽を専攻でき、校内に芸術棟という斜めの陽ざしを大きく取り入れることができる建物もありました。

先生方もプロの作家さんやデザインなどをやっていた方々で、奈良の小さな田舎であるのに、名の知れた方々に教えを乞うこともできたのです。

ですが私はそのころ、絵画というものにあまり関心がなく、どちらかというとWEB関連の技能やデジタルのツールなどに強く惹かれておりました。

デザイン関係の仕事に就きたいと思い、専攻もデザインを主体としたコースでした。

今にして思えば、実家が昔からコンピュータ関連のものがあふれていたことや、父がそういったことに造詣の深い人だったことが強く影響していたと思います。

そうした環境の中で、自営業者だった父の言葉が今でも強く印象に残っています。

それは「何でも自分でできるようになれ」ということです。

「誰かに任せることも大事だが、まず自分がそれに対して理解できていなければ、指示の内容はおぼつかず新しい発想もわいてこない。だから自分で何でもできるようになれ」

といったことを、ことあるごとに強く言われていました。

私はそうした環境の中で「自身も自由な仕事を選び、無ければ自分で作り出せる」と無意識に自覚していたのだと思います。

そういった環境の中で、将来は自分も就職はせず、自分の思う通りの仕事をやりたいと強く願っておりました。

そういった人生の節目にあって、私は人生観を百八十度転換せざるを得ないような現象に見舞われたのです。

今にして思えば独学で、周りには、否定こそしないものの、特別応援してくれるようなファンや仲間がいるわけでもない自分がなぜ「画家」となり、100作を越える作品と、1700枚以上のデッサンを積み重ねてこれたのか。

全ては6年前の2012年4月の9日に起きたこの現象があったからだと私は思います。

作家活動に行き詰まる全ての人へ

最近目まぐるしく環境が変化し、ありがたいことに様々な方が応援してくださっているのを強く感じています。

私は6年間絵を描き続けて確認といいますか、知っている事実があります。

それは「作家活動はどのラインでプロと呼ばれるのか」というところです。

一般的な仕事であれば「お金をもらえればプロ」という方も多いと思います。

その通りです。現に私も制作した100作のうち2割ぐらいの作品は誰かに迎えて頂いております。

「絵を描き、それを売って身銭を稼ぐ」確かにそれは素晴らしいことだと思います。

しかし、何より大事なのは「制作そのものを愛しているか」という点がプロとしてのプライドをもって制作活動を続けていく中で、最も重要なことのように思います。

応援して下さる方も、ともすれば離れて行ったり、興味を失ったり、批判してくることもあるでしょう。

あるいは作者の意図していない感想を持っていることもあると思います。

作品自体も、最初から売れるわけではありません。現代はネットでも作品は見て頂けますし、購入もしていただける便利な時代です。

ですが最初は誰しも「一枚も売れてない作家」なのです。

何を言いたいかというと「周囲の環境に依存した制作は必ず反省を余儀なくされる」ということです。

誰に批判されようとも、構うことなく、自分の思うままに、それを信じて、ただ美しいと思うものを描くことです。

それがある程度蓄積できる状態にあるなら、個展なども開けましょうし、いつかは誰かと巡り合うこともあるでしょう。

しかしながら、何よりも大切なのは「応援されているから作るのではなく、あなたが作りたいものを作りなさい」ということです。

私もこれからの作家人生、プロとしてのプライドを忘れず、もちろん応援して下さる方のへの感謝を忘れず、しかし自分の進むべき道を、ただ愚直に歩んでいきたいと思います。

それが私の作家活動を始めて6年目に差し掛かって考えることです。

これから作家活動を始める方や「もう制作は辞めてしまおう」と悩みに伏しているような方に、少しでも勇気を与えることができれば幸いです。

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