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それでも人は星をみる

公開日: : 最終更新日:2016/10/22 あけのみつたかの表現哲学・キュレーション

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先日作品アーカイブをまとめながら、来年以降の活動方針をまとめておりました。

その中で私自身の制作態度というものが大きく変わってきたな、という印象を受けております。

というのも、私は元々内的な精神世界を描く画家であったのです。

「元々」と言うと語弊がありますが、何かを見たり、観察したりすることにあまり関心がなく、むしろ瞬間的に頭に浮かんだ景色を現像していくような形での制作方法をとっていました。

モチーフを通さない表現の限界

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しかし、時を経るに連れやがて、内的な精神世界に一貫性を感じないようになり、瞬間を捉えるのみで内容を持たない「空っぽの芸術」に甘んじていると感じ始めたのです。

後から見れば「あぁ、こういうことを考えているな」ということは分かるのですが、それ以上の進歩を感じなくなったわけです。

ですので私は自身の制作態度を改め、内的なものを重要視しながら、外的な世界と二重写しになるような、そういった芸術を創ろうと想い、個展終了から今まで努力しております。

イメージの反復が制作の怠慢に繋がる

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それでもまだ足りず、作品を展示する機会を得ることで「表現者が作品という小窓を通してギャラリーと繋がる感覚」とでもいうようなものを追い求め続けているわけです。

作品を描き始めた頃、私は作品制作にモチーフを使うことも多々ありました。

それは私自身が制作活動を始めた4年前も同じく、その時私は、帽子掛けをモチーフに作品を作っていました。

ただ「制作」といえるようなかっちりとしたものでもなく、つらつらと筆を泳がしているような形で作品を作っており、趣味の域を出ないものだったと思います。

その時、春の兆しを感じ始めた3月の終わり頃、その中に私は私以外の世界が見えるようになったわけです。

作品のモチーフと無関係に、私の意思とは無関係に作品が変化していく、そうした不可操作性の高い「生きた制作」を始めたのが2012年3月の末のことです。

ある意味で私は作品やモチーフそのものを「視る」ということに関して無頓着であったとも言えるでしょう。

次第次第にその傾向は色濃くなり、自分の見ている視界を拒絶しているような、そんな曖昧さを含んだ内的精神世界へと私の興味は移っていったわけです。

ただ最初の制作からモチーフを用いることが基本でありましたし、一番最初に描いた帽子掛けの作品は、自分が「画家になろう」と志すきっかけとなったものでもありますが、それを見るとやはり「モチーフを通して内的な世界を表現しよう」としているようでした。

個展を通して「初心」を振り返る

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そして今年、2016年は個展「望月の宵の宴」にて多くの動員を得ることに成功しました。実際用意していたパンフレットや、ギャラリーに来られた方に出すお茶なども底をつきました。

増刷しようか、買い足そうかということを考えている暇もないぐらい、時には食事を取る暇さえないぐらい多くの人が押しかけて下さいました。改めて思うと本当に貴重な、素晴らしい時間を与えていただいたと感じております。

プロの画家としての目覚め

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個展について更に結論を言うと、結局、私自身の画家としての目覚めを促すような展示であったと思います。

画家としての目覚めとは、私の作品を見に足を運んでくださった多くの人たちの視点と、私自身の制作に関する視点が合わさるようになりました。

作品の「制作理念」とでもいいましょうか、作品のもっとも重要なコアな部分へと導いていく道筋が見えるようになったのです。

そうして、そうした見え方を楽しんでいるというのが今の私の表現活動での現状です。

それをなんと表現しようか

それをどのようなモチーフで持って表現しようとするかは別として、その中に素晴らしいものを発見することができるようになったということです。

芸術の目指すべき「本当の表現」とは

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これは「芸術においての愛」ではないかと私は思います。

作品という小窓を通して、この世界を、現実にそこにある世界の実相とギャラリーの方々の視点を大きな循環器として扱うことができるようになってきました。

芸術とは、作品を通して、創造者とその作品を見る多くの人と、そしてその作品が出来上がってくるために関わってきた全てによって成り立つものです。

たとえ「今その段階にない、自分はまだまだ練習不足だ」と思うようなことがあっても、続けていけばやがてそのようになっていきます。継続するとその段階に入らざるを得なくなるのです。

全てがつながっているのです。

元を辿れば、表現者と作品を見る人とこの世界はひとつなのです。どれ一つ欠けてはならない要素なのです。

一つでも欠ければ、その作品は不完全なものになっていくのです。

制作物が人生の深みを物語る

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表現者には表現者の人生があるでしょう。それはその人の環境であり、その人の歴史でもあるでしょう。

その表現者の経験してきたことと、作品にしようとした景色やインスピレーションによって作品は出来上がっているでしょう。

その歴史と、世界の姿を見るのは、芸術に興味のある多くの人々でもあり、他ならぬあなた方自身であるのです。

その作品を見たとき、触れたとき、あなた方は「表現者の見た美しさ」を、「共有したいと思った風景」を見たということなのです。

表現者の見た美しさとは、表現者が過去数十年の人生で掴み取ってきた「答え」でもあるのです。

その答えをお教えするのが芸術の本懐でもあるのです。

それでも人は星を見る

なぜ見つめるのか、なぜ見るのか

なぜ苦しみや失望の中にあっても、それでもなお、星を見るのか

なぜ人は苦しみながらも生きているのか

たとえその想い敗れようとも、たとえその想い、戦車に踏み敷かれようとも

それでも人は星をみる

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地面を見つめる人がいる。地の上に敷かれたレールを見つめるのか

そのレールを見つめ、運命を呪う

しかし地の上にいかほどの真実があろうか。

人はやがて星をみる

たとえ目の前に絶望が横たわっていようとも、それでも人は星をみる

希望という光の届かぬ世界にあったとしても、それでも人は星をみる。

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なぜ星は、何億年もの昔からそこにあったのか。なぜ人は失敗しても、何度でも立ち上がるのか

それでもなお、星をみるのか

やがて来たる時を夢にみて、永遠の姿を夢にみて

このうつしみ儚くも

それでも人は星をみる

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