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昨今のアーティストへの問いかけ②「作品を客観的に見れているか」

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以前私は「表現に責任を持て」と題してお話をいたしました。今回はその続きということになります。

おそらく一部の絵描きの方は以前の文章を読んで驚かれたのではないかと思います。

「こんな意見がありうるのか」という感覚を持たれた方の多いことと思います。

確かに自身の作品を客観的に観るということ事態が難しいのに、さらにその表現に責任をもてと言われてもピンとこない方も多いかもしれません。

そこで私は以前経験した話も踏まえて、改めてアートと呼ばれるものが「どういった形で世間に接触しているのか」、また「その影響はどのように表れるのか」、という点について話してみたいと思います。

アートが鑑賞者に与える影響とは

私は公立高校にしては珍しい「美術専攻型」の学校に通っておりました。

そこでは基礎的な美術技法の習得と、その先には専門学校や小さな美大レベルの専攻コースが用意されており、私はその課題の過程で美術館に鑑賞に行く機会が度々ありました。

また両親に「子供の社会勉強のため」ということで美術館によく連れられることも多くあり、私としては非常に恵まれた環境の中で育っていきました。

その中で印象的な出来事として挙げられるのはエル・グレコの「受胎告知」と出会った時の話です。

その時は確か学校での課外授業の一環で、広島の倉敷にほど近いある美術館にお邪魔しておりました。

たまたまその頃、錚々たる芸術家たちの絵画が並べられた絵画展が行われておりました。

ピカソ、フォンタナ、エル・グレコ等々、他にもあったと記憶しておりますが、主に記憶しているのはこの三名のみです。

エル・グレコの受胎告知から感じた「ただならぬ気配」

様々な作品が並ぶ展示室で私が一番目を引かれたのはエル・グレコの「受胎告知」でした。

その作品はちょうど、順路から言えば最初は背を向ける形でその作品の前を通るようになっていたのですが、その時私は、背後からただならぬ気配を感じました。

「この差し迫るような気配はなんだろう」と振り返ると、そこにあったのがエル・グレコの「受胎告知」でありました。

大天使ガブリエルが聖母マリアに救世主イエスを宿したことを告げる一幕なのですが、私は衝撃を受けました。

まさに作品が示すとおり、私の体の隅々にまで稲妻を走らせたような、そういった感覚がありました。震え上がったのです。

その出会いが最も印象的であったのですが、その後も様々な作品に影響を受け、その都度、私は作品から「メッセージ」を受け取っておりました。

制作態度が鑑賞者に影響する

ある種、こういった経験はどの方にとっても大なり小なりあるのではないでしょうか。

そういった経験をした上で、多くの人の制作物やその制作態度を聞くにつけ、見るにつけ、アーティストと呼ばれる人たちが「自分の制作物やその態度に責任をもっていないこと」に強い懸念を感じるのです。

やはり絵画や彫刻などは「言葉で語らず語るもの」であると思います。ある意味では作った本人の口より多くのことを鑑賞者に語りかけ続けているのです。

ですので「アート」というくくりで何かを創ろうと思うなら、その影響についてはよく考えなければなりません。本当に影響力があるのです。

よりよき表現のために

多くの表現者は言うでしょう。

「ではどうやって責任を持つというのだ。自分の作品は、自分の恣意的、計画的な行動で創り出されるものではない。むしろ無意識下から沸き起こる衝動が筆を握らせるのだ」と。

確かにその通りです。絵画とは無意識下の世界より投影されるビジョンでありますし、彫刻に関しても立体物の中に秘められた運命と、自分の無意識とのコミュニケーションによって創られます。

ですから私は極めてシンプルにアーティスト達に言いたいのです。

自由でありなさい。

自由とは、本当に自分の無意識を支配したときに起こる感情とその状態のことを言うのです。

無意識とは自分の今までの人生で、特に印象に残ったこと、「これだけは忘れまい」と感じたことが埋没している世界なのです。

その世界にもし、苦しい印象となっているものがあればどうでしょう。

そういった暗い印象を投げかける影が自分の中にあるなら、まずはその暗い影から自由になってみてください。

自分の人生と向き合うことこそ「本当の表現の始まり」

それはただ今すぐにできることではないでしょう。

ですが暗い印象、出来事にすがっていて、一体何の意味があるのですか。

あなたを傷つけた人や環境を憎んだところで、あなた自身が幸福になることはないのです。

何故なら、「過去の出来事を恨む」という行為は、言葉を変えたなら「過去の不幸を抱きしめている」という行為に他ならないのです。

過去の不幸を抱きしめて、これが「自分のアイデンティティなんだ」と決めつけているならまだまだ自己研鑽が足りないのです。

自分自身を見つめることです。自分の心の中の映像をよく見つめることです。

その中に、暗い印象、苦しいものを感じたならそれが一体どういった出来事であったか、もう一度検討してみる必要があります。

「果たしてそれは、本当にどうしようもない出来事なんだろうか」と。

もしそれが今更解決できない出来事であったなら、そこから学べることを学び尽くして忘れてしまうことです。

鯨の話ではありませんが、本当は、あなたの人生で無駄だった出来事など何一つないのです。一つとしてありません。

無駄だったと感じるのは、あなたがそこから学んでいない証拠なのです。学習できていないのです。

得てしてそういった学習しきれなかった出来事というのは、違った場面でもう一度遭遇する羽目になるのです。

それこそ無駄ではないですか。時間の無駄、効率が悪いです。

悪しき印象を起こしている出来事からは早く学び、遠ざかるべきなのです。

宗教的態度が制作物を改革していく

その学習態度を教えてくれるのは「正しい宗教」しかありません。

心理学でも、哲学でも、小説やエッセイでも、道徳でも学べません。何故なら、人生の出来事に対して答えを求める行為こそ「宗教」の持つ特性の一つでもあるからなのです。

この考え方は私が勝手に言っているものではありません。

過去の偉大な芸術作品やそれを創り出したアーティストたちの言葉や人生を見ているとそういった「宗教的な瞬間」を必ず体験しているのです。

例を挙げるならレンブラント・ファン・レインやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホもそうでした。

それ以外にもあります。枚挙にいとまがないほどにおります。

どうかそういった、宗教的感性、宗教的意識、宗教的自己革命を起こしていいただきたいのです。

それこそ、21世紀を生きる芸術家たちの使命であり、存在価値であり、価値ある人生を生産していくための最後の答えだということをよく理解していただきたいと思います。

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