「自分の表現に責任を持つこと」の意味と意義について
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最終更新日:2022/08/14
あけのみつたかの表現哲学・キュレーション
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これからの作家に必要なことを挙げてみようと思う。
作家にとって創作とは、自身のアイデンティティそのものを使うものだから、ある意味では総力戦だ。自力で長時間かけて作り上げた力作を他の人が足蹴に扱うこともあろうと思う。
中にはスランプと言って、自分の中身が空っぽな空虚な感想を持つ時期もある。しかしそれは単なるインプットが欠けてるだけではない可能性がある。
ここに気が付いていないと、その後も「躓き続ける」可能性があるので注意する必要がある。
作家はアウトプットが仕事だから、勉強し続けることが何よりも大切だ。
人の知らない世界を一つでも持てば、それだけ創作空間は広がる。
その為には、平素から努力して学ぶ時間を作るべきだ。自分の内から湧き出た世界も、学んだ知識が無ければ「独り善がり」に堕する。
画家にとっての勉強は自然や世界の「色」や「形」をよく観察し、その美の法則性を見出すことだ。
しかし同時に、内から湧き出る創作世界は心の勉強、即ち正しい真理知識を身に付けることで俯瞰することができる。
ここでいう「内なる創作世界」とは、様々なモチーフを手に取り、自分自身の中に落とし込んでいき、我が表現として外界に露出するまでの過程を言っているので、どのような作家であれ、即ちアイデアの淵源を自分自身で把握しておくことは作家やその周りのエージェントにとって、またその表現を実際に見る人たちにとっても重要だ。
何故ならば、内なる創作世界の秘密を明かすことができなければ人はその表面を撫でることに甘んじ、結果的に善意的解釈にも悪意的解釈にも、要するに恣意的解釈に全て委ねるしかなくなる。その結果、その表現を著した本人が本当に伝えたかったことが充分に伝わらず終わってしまうこととなる。
勿論、それで満足であれば私はそれ以上アドバイスできることはない。しかし本当に伝えたいこと、見せたいものがあるのならば、見る人たちの心に深く刺さるような表現を目指したいのならば、この「内なる創作世界」を開陳することが最も合理的な作法であると思えるのである。
そこでここでは内なる創造世界、要するにその表現に至ったプロセスをお見せすることの重要性とその方法論について語っていく。
外界の観察には眼が必須だろうが、内に見る創作世界には「心眼」を鍛える必要がある。
心眼を鍛えるには勉強がいる。それは儒教、仏教、ヒンドゥー教から密教、道教に哲学、科学、経済、政治、心理学等、様々な世界に繋がる真理を見出す勉強だ。
様々な分野の底流に流れる水脈が、実は自分自身の中にも流れているので、この部分を知っていれば自身の内にある世界に振り回されずに済む。
それどころか、創作世界はあなたの味方になり、剣となり、武器となる。芸術とは人間の根源的な生存に根ざした根本の真理を描く所まで繋がっている。これが芸術の真の価値であり、ここまで極めて初めて新しい芸術の方向性を見出すことができる。
内と外の二つの観察眼が繋がった時、その時こそ本当に優れた芸術となる。単なるデッサン力では不十分で、内にある創作世界を世に問うに値するレベルまで引き上げていく必要がある。これは単なる理論武装ではない。
あなたの創作は「アート」という箱庭を抜けても説得力を持っているか?それが肝要なのだ。それでこそ、本当の意味で「自分の表現に責任を持つこと」となるので、これは結構重要な論点だと思う。
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